キャリアウーマンの回復体験

外資系金融機関に勤務されていた時期に、うつ病になり回復されたJさんにお話を伺ってきました。

今回はインタビュー形式ではなく、体験記事としてお伝えします。

Jさん、貴重な体験を聞かせて頂きありがとうございました。

 

Jさんのプロフィール

年齢:30代

職業:外資系金融機関(現在は主婦として育児中)

症状:うつ病パニック障害(うつ発症後に併発)

回復までの期間:2年半

 

クモ膜下出血がうつの要因に

Jさんは、外資系金融機関でアナリストやトレーダーとしてキャリアを積まれ、海外拠点の立上げを成功させるなど、活躍をしている最中にクモ膜下出血で倒れた。

その後、職場に復帰するも頭痛がひどく、検査をしたところ最終的に心療内科うつ病と診断された。

医者からは、クモ膜下出血の影響でセロトニンの調整機能が低下したことがうつ病の要因ではないか、と言われた。

また、当時仕事で関わる同僚と考えが合わなかったり、アシスタントとのコミュニケーションがとりづらい状況に大きなストレスを抱えていた。

 

(Jさんのように、脳に関する疾患や外傷が原因でうつ病を発症するがケースがあるようです。また癌患者の方々は、厳しい治療の中で多大なストレスを抱えるため、4分の1がうつ病を発症されるとも言われています。)

 

「仕事をしていない自分には価値がない」

当初は気分の落ち込みなどの精神的な症状はなく、もっと仕事がしたいのに頭痛がひどく身体がもたない状態だった。

それでも「仕事をしていない自分には価値がない」と思い、会社と相談のうえ週2日間午前中だけ勤務をしていた。

診療内科医からは「Jさんのうつの状態は、入院が必要なレベルだが、精神力の強さによって精神的な症状が抑圧されていたのだろう」と言われた。

その後、Jさんは休職をし通院による治療を開始した。

 

カウンセリングと看護師の妹が支えに

「とにかく、はやく治りたい」という一心で気功やホメオパシーなど、あらゆる治療を試していた。

そんな中で出会った内科医の先生(女医)のカウンセリングに助けられた。先生は淡々とした感じだったが、人間としての厚みがあり信頼できる人だった。

カウンセリングの中で「どうしてそう考えるのか」など自分の考え方に深くアプローチした結果、考えの偏りが減った。

人と会うのが負担だったので極力避けていたが、心療内科の看護師である妹は、うつ病への理解があり相談をしていた。

 

 回復の階段を一段ずつ、ゆっくりと、のぼっていく

 体調が良くなったと思い薬の量を減らした矢先に、体調が悪化した。パニック障害を併発し、電車に乗れなくなった。

2歩進んで、3歩下がっているように感じられた。

 

それでも、治りたいという一心で地道に治療を続けた。不安で乗れなかった電車が、一駅乗れるようになり、少しずつ先の駅まで乗れるようになった。

趣味のスキューバダイビングを再開した時、パニックや不安がなく楽しめた。終わった後も体調に異変はなかった。

普段と違うことをやっても、疲れなくなったり、大丈夫だって思えることで、回復を実感できた。

回復までの2年半の過程は、「階段を一段ずつ、ゆっくりと、のぼっていくような感じ」だった。

 

まとめ

うつ病パニック障害になると、今まで当たり前にできたことが出来なくなります。電車に乗ったり、本を読んだり、友達とお茶や食事をすること、何気ない日常のことが出来なくなります。すこし状態が良くなったかなと思うと、元に戻ったりします。

そういう状況を繰り返していく中で、どんどん自信を失っていき、復職や社会復帰することが、はてしなく遠いことに思えてきます。

 

ぼくもJさんと同じように、焦らずできることをひとつずつ、積み上げるようにしてきました。「今週は毎日きまった時間に起きることができた」「本をすこし読めるようになった」「電車に一駅乗れるようになった」など、出来るようになったことに目を向けて回復を実感していきました。調子が悪くなって元に戻っても、またこつこつと、出来ることをやっていけば、きっと良くなると思います。

また、周辺でサポートする人が、うつ病の方ができるようになったことを見つけて、伝えていくことで、回復を実感できるようになると思います。

 

Jさんの体験記事は以上となります。

次回は、元経営コンサルタントで一児のパパの回復体験インタビューを掲載します。

 

それでは。 

回復インタビュー2人目(回復編後半)

ケンジさんの体験 回復編後半

ケンジさんの体験、今回が最後です。

今後のキャリアについて考えるきっかけに

ケンジさん:うつと診断されてから半年たった頃、会社内で組織変更がありました。苦手意識があった上司にかわって年の近い人が上司になり気持ちが楽になりました。

panicome:新しい上司は、症状について理解はあったんですか。

ケンジさん:そうですね、体調のことを気にかけて頂いていました。一番大きかったのは、仕事の話がしやすかったのでコミュニケーションの負担が小さくなって、体調も少しずつよくなってきました。薬の量も減ってきましたね。

panicome:以前の上司とのコミュニケーションの負担が、大きかったんですね。このまま順調に回復していきそうですが、転職をされたんですね。

ケンジさん:最初は「ネット系ベンチャー企業で力を試してみたい」と思って入社したんですけど、会社が提供しているサービスに自分がそんなに関心がないことに気が付いたんです。

うつになったことをきっかけに、どんな環境で仕事をしたいか考えるようになって、「何」をやるかではなく、「誰」とやるかの方が僕にとっては大事だと気が付きました。

そんなことを考えている時に、以前勤めていた会社ですごく信頼していた元上司と食事をする機会があって、またその方と一緒に仕事がしたいと思ったんです。

panicome:いい上司だったんですね。

ケンジさん:一緒に仕事をしていた時期は、自分のことを認めてくれている安心感がありましたね。

panicome:すぐに元上司がいらっしゃる会社に転職されたんですか。

ケンジさん:その後、月に一度くらいお会いして、食事しながら仕事内容や職場の話を聞いたりしていました。半年くらいたった頃、その会社で採用の募集があると聞いて応募をして転職を決めました。

得意な仕事でどんどん回復

panicome:転職されてからは、前職と同じように財務の仕事をされていたんですか。

ケンジさん:いいえ。最初は人事で採用の仕事をしていました。僕は経理の経験が長くて一番得意なんですが、当時経理は募集がなくて。

panicome:新しい環境で、初めて採用のお仕事をされることに不安はなかったですか。

ケンジさん:やっぱりプレッシャーはありました。でも職場の人間関係が良くて、元上司を含めて安心して仕事に取組めたので、順調に回復していきました。入社して3ヶ月後にお医者さんと相談をして、薬をやめることができました。

それから経理に異動になったんですが、そこから体調がどんどん回復していきました。

 panicome:得意な経理の仕事に自信をもって取組めたことが大きかったんでしょうか。

ケンジさん:体調を崩してからは、不安感が大きい中で経験したことがない仕事を任されて、自信をなくしていた面もあると思います。

経理の仕事は真新しさはないけど、「できる」「わかる」から、自信をもって仕事ができたんだと思います。

panicome:最後にケンジさんと同じように、症状に悩みながら仕事を続けているひとに、ご自身の経験からお伝えしたいことがあればお願いします。

ケンジさん:僕は症状が軽い方だと思いますが、もとの職場に戻るだけでなく、環境をかえることを含めて選択肢を広くもってほしいなって思います。あとは、「得意なこと」や「できること」をやって自信を取り戻していくことも回復のポイントだったかなって思います。

 panicome:ありがとうございました。

 

ケンジさんの体験は以上となります。今月中に3名の方にインタビューを予定していますので、記事を書きたいと思います。

それでは。

回復インタビュー2人目(回復編前半)

ケンジさんの体験 回復編前半

前回に引続き、ケンジさんの体験談です。奥さまであるトモコさんのコメントも記載しています。

症状を理解できずに責めてしまった

panicome:通院されてからは、通常どおり仕事をされていただんですか。

ケンジさん:2件目の病院でうつと診断されたことを上司に話をしたら、一週間休みをとるように言われて休暇に入りました。

panicome:休暇中はどのようにすごしていたんですか。

ケンジさん:朝起きるのがつらくて、昼まで寝ていましたね。食欲は戻ってきたので三食とっていました。一日だけ、気分転換で友達と温泉にでかけましたね。

一週間休んで通常通りに業務に戻りました。

panicome:休暇明けは、上司と業務量に関する打合せとかはなかったんですか。

ケンジさん:特になかったですね。「体調大丈夫?」とは聞かれましたけど。むしろ休んでいた分の仕事も含めて、仕事の負担は増えた感じでしたね。。

panicome:おそらく上司の方も悪気はなくて、休んだからもう大丈夫だろうって思ったんでしょうね。

忙しい中で休みをもらった上に、業務量を減らしてくださいって言えないですもんね。産業医とか社内に相談できる相手はいなかったんですか。

ケンジさん:月に一回だけ会社が委託している外部の産業医との面談はありましたが、診断や服用について形式的に5分程度話をするだけでしたね。

panicome:トモコさん(奥さま)、この時期ケンジさんの様子はどんな感じでしたか。

トモコさん:朝起きるのがつらそうで、たまに午後から出社していましたね。あとは寝ている時の歯ぎしりがひどかったり、アルコールの量は明らかに増えていましたね。

ケンジさん:確かにストレス発散で酔うために飲んでた感じです。休みの日に1人で近所の居酒屋が開店するのを待って、夕方から飲んでました。飲んだ日はもちろん薬は飲まないでいました。。

panicome:治療中のアルコールは厳禁ですね。僕もお酒をたくさん飲んでいたので、人のことを言えませんが(笑)

トモコさんは、ケンジさんの症状についてどんなふうに感じていましたか。ご自身の家族や友人に相談はされましたか。

 

トモコさん:最初は症状について理解できなくて、「なんで朝起きないの」「がんばってよ」って責めてしましました。主人から「見守ってほしい」って言われてから、インターネットでうつについて調べたら、家族の対処法として「がんばって」というのは禁句だと書いてあって。

自分の母には話をしましたけど、友人に相談したりはしなかったですね。

panicome:将来への不安とかはなかったですか。

トモコさん:結婚して1年がたった頃で、自宅を購入したばかりだったので、自分が支えていかなきゃって思っていました。でも、主人は職場の環境が合っていないだけで、環境が変われば絶対に良くなるって思っていたので、そこまで不安にはなりませんでしたね。

 

主体的に治療に取組み、サッカーやヨガで生活に隙間をつくった

panicome:仕事を続けながら治療をされていましたが、休日の過ごし方で以前と変わったことはありましたか。

ケンジさん:首、肩、頭痛がひどかったので接骨院に通っていましたね。薬の効果もあってか、不安感は落ち着いていました。

トモコさん:確か右半身のしびれがとれないって言ってよね。

ケンジさん:あとは、知人の紹介で地元の社会人サッカーに参加したり、ヨガをはじめたりしましたね。サッカーチームのメンバーは、年上で優しい人が多くて楽しかったです。

panicome:運動してすっきりしたり、新しい人間関係ができたことで、仕事でいっぱいだった生活に良い隙間ができたんですね。

トモコさん:体調をよくするために出来ることを考えていたよね。休むときはしっかり休むように意識したり、運動をしたり。

ケンジさん:あとは病院の先生に、治療の内容や薬の量について積極的に質問して体の状態や治療状況を知るようにしていました。どうやって薬の量を減らしていくかについても先生に相談していました。

panicome:先生に質問や相談することに戸惑いはなかったですか。

ケンジさん:穏やかな先生で、診察中に時間をせかされることもなく、質問しやすかったです。

panicome:主体的に治療に取組んでいらっしゃったんですね。確かに診察時間は限られているし、気になることを積極的に聞くのは良いことだと思います。

 

 回復編前半まとめ

 サポートする側のご家族にも支援が必要

今回奥さまのトモコさんにもお話を伺いましたが、うつ症状の人と接したことがない状況で大切な存在であるご主人がうつ症状になって、大きな不安があったと思います。

うつやパニックへの理解がすすんでいない中で、サポートする立場の人も気軽に相談できる相手を見つけることは難しいんだと感じました。

 

次回は回復編後半になります。

それでは。

回復インタビュー2人目(発症編)

ケンジさんの体験

うつと診断された後、仕事を続けながら回復されたケンジさんと奥さまのトモコさんにお話を伺ってきました。

 回復に向けた日常生活の過ごし方の工夫や、病院の先生への質問や相談の仕方などが参考になるエピソードです。

ケンジさん夫妻のプロフィール

結婚して5年の同級生夫婦。発症時は結婚して1年の新婚さんでした。

ケンジさん

年齢:34際

発症時年齢:30歳

回復までの期間:1年4ヶ月

現在の職業:中小企業の財務・経理責任者

 

「期待にこたえられないかもしれない」という不安

panicome:今日はご夫婦でありがとうございます。発症された時は、どういった仕事をされていたんですか。

ケンジさん:ネット系のベンチャー企業で財務の仕事をしていました。

panicome:財務のお仕事は、銀行から融資を受けるための業務が中心でしたか。

ネット系のベンチャー企業だと、会社の成長スピードが速そうで忙しそうなイメージですね。

ケンジさん:上場の準備をしていたので、銀行対応の他に内部統制の充実やストックオプション関係の業務など、慣れない仕事が山のようにふってきました。。

panicome:それは大変だ。。僕も上場準備をしている会社の管理部門で仕事をしていましたが、息をつく暇もない感じでした笑

ケンジさん:今までやったことがない業務で正解が見えないし、話したことがない他部署の上司とのやり取りも多くて。

panicome:職場の雰囲気はどんな感じでしたか。

ケンジさん:所属していた部署は、弁護士や会計士、コンサルティング会社出身者と専門家が在籍していて、まわりと協力し合うというよりも、個人として成果を出すって感じでしたね。そんな中で僕も「自分でなんとかしないといけない」と思っていましたし、「出来ないと」言えない状況でしたね。

panicome:業務量が増える中で、求められる成果の水準もあがって、すごいプレッシャーだったんですね。僕もケンジさんと同じで頼まれると断れないし、自分でなんとかしなければいけないって思ってました。

ケンジさん:直属の上司が外資系の金融機関出身で経験豊富で頭も良くて。忙しい人だったので気軽に質問が出来るような環境でもなく、とっつきにくいと言うか、コミュニケーションをとるのが難しかったですね。

panicome:少数精鋭の環境で直属の上司との関係が悪いと、逃げ場がない感じですね。

ケンジさん:仕事に追われながら、「出来ないかもしれない」「上司や同僚から評価されないていない」「期待にこたえられないかもしれない」という不安を常に抱えてすごす毎日でしたね。

最初の病院では質問攻めにあい通院をやめた

panicome:体調の不調はなかったですか。

ケンジさん:その頃、日中食欲が全くなくてお昼はほとんど食べていませんでした。気力がなくて、仕事が手に付かなくなったり。やらなきゃいけないことが溜まっていて休日出勤した日に、とりあえず30分やろうと思っても続かなくて。

その日に自分で心療内科を探して、診察にいってきました。

panicome:いきなり心療内科に行かれたんですね。内科や他の症状の検査はされなかったんですか。

ケンジさん:不安や気分の落ち込み、食欲不振の他に、どこかが痛いとか具合が悪いということがなかったので、心療内科かなと思って他の検査は受けなかったですね。

 

panicome:心療内科での診察はどんな感じでしたか。

ケンジさん:心療内科は初めてでしたので、緊張しましたね。その時の先生が高圧的で、形式的な感じでどんどん質問攻めにあって、「ストレスが原因です」とだけ言われました。

panicome:苦しい状態から逃れたくてきているのに、矢継ぎ早に質問を受けるだけで、じっくり話を聞いてもらえないと余計につらいですね。

ケンジさん:その先生のことが信頼できなくてなって、そこの病院に通うのはやめようと思いました。

その後、付き合いの長い友人で、うつ病を克服した友達から紹介された他の病院に行きました。

panicome:友人に克服された方がいたんですね。うらやましい。

ケンジさん:友人と久しぶりに会った日、顔を合わせて瞬間に「顔色真っ蒼だよ。体調悪いの」って言われて。そこから自分の仕事の状況や体調のこととか、心療内科で質問攻めにあった話をしたら、友人が通っていた病院を勧めてくれました。

panicome:久しぶり会った親しいご友人だからこそ、様子がおかしいって気付いたんでしょうし、経験者だからこそ、ケンジさんも安心して相談できたんでしょうね。

ケンジさん:身近な友人からの一言に背中をおされる感じで、勧められた病院に行きました。

 

発症編まとめ

発症編では2点、「信頼して相談できる相手を見つける難しさ」と「不調を感じた際の初期対応」について考えさせられました。

 

1点目は、体調が悪くて不安で押しつぶされそうで苦しい時期に、うつの経験があり信頼できる友人という相談相手がいたのは大きな支えになったのではないでしょうか。

身近に信頼して相談できる人を見つけるのは、難しいのかなって思います。

理解されずに関係が壊れることが怖かったり、弱い人だって思われるのが嫌で、家族や恋人、親しい人であっても言い出せないんだと思います。

 

2点目は、僕もそうでしたがメンタルヘルスの不調を感じた際、内科などで他の症状について検査を受けていない人も結構いるのかなって思いました。

医療関係の方に話を伺った際に、表面上の症状はうつやパニックと似ていても、根本的な原因はカラダのひどい歪みによって自立神経のバランスを崩していたり血液の流れが悪くなっていることで症状を引き起こしているケースがあるとのことでした。

メンタルヘルスの不調を感じた際、「ココロ」だけでなく「カラダ」の検査をしておく必要性を感じました。

また、うつやパニックの症状が強いときは、首や背中、腰のハリや痛みが原因で頭痛やめまいをひどくしていることがあるので、「ココロ」のケアだけでなく、「カラダ」のケアも重要だと思います。

 

次回は回復編です。

回復インタビュー1人目(回復編後半)

ショウさんの体験 回復編後半

ショウさんの体験、今回が最終です。

 

焦りと孤独を抱えながらリハビリ

ショウさん:発症から2ヶ月して、実家から千葉のアパートに戻りました。社会復帰するために一人でリハビリを開始しました。

panicome:リハビリメニューはお医者さんがつくってくれたんですか。

ショウさん:通院先の先生と相談して作りました。あとは自分で本を読んだ内容も取り入れて。

電車に乗る訓練や、会社に出勤して朝会に参加したり。

本当はリハビリを行う程体調は回復していなかったのかもしれません。でも何もしないでいると「このままで一生終わるのかな」って不安がよぎって。

panicome:僕も焦って、過剰に行動して、更に不安が増長する感じでした。当たり前のことを、当たり前にすることが難しいですよね。そんな中でリハビリを続けていくことって、大変ですよね。

ショウさん:一駅ですが電車に乗れるようになった時、すごく感動したんですが、感動を伝える相手が見当たりませんでしたね。普通の人にとっては、電車に乗れることは当たり前のことですし(笑)

panicome:「当たり前のことを、当たり前に続けること」が難しいですよね。患者にとっての偉大なる第一歩も、普通の人にとってはなんでもないことですよね。

家族の存在が最大の支え

panicome:千葉のアパートに戻られてからは順調に回復されたんですか。

ショウさん:しばらくして、また調子が悪くなり抗鬱剤の量が増えました。この時点で出勤できるようになるまでは一ヵ月はかかるという診断を受けたので、再度実家に戻ることにしました。

実家に戻った時おばあちゃんは喜んでいました。これだけ実家でゆっくり過ごせるのは高校卒業以来なので、実家を離れるのは少々さびしかったようです。改めて、おばあちゃんがいなければ、どうなっていただろうと思います。

panicome:ショウさんが復帰される過程でご家族の支えが大きかったんですね。

ショウさん:本当にそうです。母も何気ない感じで接してくれて、体調を気遣った食事を作ってくれました。こういった環境は、誰もが手に入れられるものではないと思うので、すごく恵まれていたと思います。

発症から4ヶ月で復職へ

panicome:再度実家に戻られてからは、どんな風に過ごされていたんですか。

ショウさん:抗鬱剤を増やした効果で、ごはんが美味しく感じて食べる量も増えました。それから、散歩をして近所の人と会話するのが楽しみになりました。

panicome:順調に回復されたんですね。

ショウさん:発症から3ヶ月後、一人暮らしで日常生活は支障ない程度に回復しました。この後もリハビリとして、日常生活と電車や人ごみの中にいく日々を繰り返して。会社の人事と面談を行って、復職について打合せもしました。

panicome:復職の判断は掛かりつけのお医者さんが判断されたんですか。復職にあたって不安はなかったですか。

ショウさん:メンタルクリニックの先生が判断しました。自分が復帰できると判断した一ヶ月後でしたね。

電車にもほぼ慣れて、精神的にも以前と同じ程度まで回復していたので不安はあまり無かったですね。業務面もコードを書く能力もそんなに落ちることもないと思っていたので。

panicome:復職当初からフルタイムで勤務されたんですか。職場は元の職場に戻られたんですか。

ショウさん:職場は以前と同じチームに戻りました。

最初は会社の勧めもあり、週4日出社していました。土日以外に水を休みにしていましたね。勤務時間も際社は15時までにして徐々に伸ばしていきました。

panicome:現在は復職してどのくらい期間が経ちましたか。もう不安感や症状が出ることはないんですか。

ショウさん:復職から約5年です。復職して1年くらいで体調はほぼ戻りました。

残業が続いて様子が変だと少し休んだりします。通院は年に2~3回程度で、薬は常備していますが飲んでいません。

panicome:貴重なお話をありがとうございました。

 

回復編後半まとめ

 回復レベルに応じた適切な対応が早期回復のカギ

ショウさんが回復に至るまでの経緯って、以前産業医の先生から伺った「最も望ましい回復までの対応」とほぼ一致していました。

ショウさんは医師と相談の上で、回復レベルに応じて適切な治療をされたことが早期復職に繋がったのかなと感じました。

また信頼できるご家族の存在があり、焦りや気分の落ち込み等のつらい状況でも継続的に治療に専念されたことも大きかったのではないでしょうか。

 

今後も回復インタビューを続けていきたいと思います。

それでは、また

回復インタビュー1人目(回復編前半)

ショウさんの体験 回復編前半

前回に引続き、ショウさんの体験の回復編前半です。

 

療養初期は不安でとにかくつらかった

panicome:パニック障害と診断されてすぐに休職されたんですか。

ショウさん:病院で全治二週間の処方箋とジェイゾロフトSSRIと呼ばれる抗うつ剤の一種)を出され、休職に入りました。休職の相談をするために会社に電話を入れるだけで、手が震えました。発症時は千葉で1人暮らしでしたが、栃木の実家に帰って療養を開始しました。

panicome:療養を始めた頃はどんな生活をされていたんですか。体調はどんな感じでしたか。

ショウさん:二~三週間は動けず部屋の中にいました。不安でご飯が食べられない、味が分からない、眠れない、鬱に襲われて何日間もずっと死ぬことばかりを考えていました。不安に襲われてなにも楽しめないし、突然涙が出たり、嘔吐感に襲われたりして。ノンストレスのはずが、何度もパニック発作に襲われました。

panicome:僕も発作が一番ひどい時期に鬱を併発して、二週間程ほとんど部屋の中で1人でもがいていました。

ショウさん:何度も死んだ方がましだと考えました。でも僕はおばあちゃん子で、おばちゃんより先に死ぬのは申し訳ないと思って。

自分の症状を受け入れることが、回復への第一歩

ショウさん:その後薬が効いて体調が安定してきたので、体調を良くしようと思いインターネットで病気に関して情報収集を開始しました。本は集中力が続かないので、読めませんでした。

panicome:絶望感とかあったと思いますが、どうして体調を良くしたいと思えたのですか。

ショウさん:薬の効果もあり、回復を少しずつ感じていたのかもしれません。薬の効果や、症状にも慣れてきてだんだん病気のことが分かってきた頃でした。

最初は部屋の中で、朝起きて服を着替えることや、軽いストレッチを始めました。

それから日光を浴びたり、規則正しい生活を心がけたり、栄養バランスを考えて食事をとったり、リラクゼーションを学んだりと少しずつプラスの方向に向かい始めました。パニック発作に慣れてきて「深呼吸」という対処法を身に着け、死の恐怖が和らいでいく感じでした。

外出は家の庭を散歩することから始めて、慣れてきたら近所を散歩するというように徐々に活動の範囲を広げて行きました。

panicome:友人、知人とは連絡をとっていましたか。

ショウさん:友人には病気のことを打ち明けられませんでしたので、連絡もとっていません。みんな働いているのに申し訳ないなとか、このまま戻れないんじゃないかって、病気を受け入れ始めたのかもしれません。

panicome:すごく孤独ですよね。

僕もショウさんの感覚と似たところがあって、自分の症状を受け入れて、この状態からどうやっていくかって考えられた時に始めて回復への一歩を踏み出せたような気がします。

究極のリラックス方法としての呼吸を習得

panicome:「呼吸法」について、どういったことを学んだか教えて頂けますか。

ショウさん:「気の呼吸法ー全身に酸素を送り治癒力を高める(幻冬舎文庫)」という本を読んで学びました。

呼吸をつかったリラックス方法ですが、きれいな空気をすって全身の汚れたものを出すという感じです。10日間程続けていると、全身が緩んでいく感覚を得られます。

呼吸法で一生もののリラックス方法を身に着けられました。

 

回復編前半まとめ

最初は焦らず完全に休み、体調を安定させることが重要

回復への第一歩って、自分自身が「体調をよくしたい」「治したい」と思えて、初めて踏み出せると思います。でも、体調や気持ちが安定しないことには、そんな風に前向きに、自分の症状と向き合うことは出来ません。

療養に入ったら苦しいし、不安で焦るかもしれませんが、先ずは投薬と完全療養で体調を安定させることが重要だと思います。

 

次回は回復編後半となります。

それでは。

回復インタビュー1人目(発症編)

ショウさんの体験

今回はパニック障害から回復された方のインタビュー1人目として、大手ソフトウェア開発会社プログラーマ―のショウさんからお話を伺ってきました。

ショウさん、ご協力を頂きありがとうございました。

ショウさんのプロフィール

年齢:28歳

発症時年齢:24歳

職業:プログラマー

 

発症に至った原因が思い当たらない

panicome:パニック障害を発症される前に、何か予兆はありましたか。僕は新聞の内容が頭に入らない、打合せ時に集中力が続かない状況が2週間程続いていました。

ショウさん:パニック発作が出る1ヵ月前から体調不良で、不安でご飯が食べられなくなりました。ストレスや過労等の明確な理由は思い当たらず、周囲の優秀な先輩と仕事をすことに焦りを感じていたかもしれません。

panicome:発症時は入社からどのくらい期間がたっていたんですか。転職や異動等、大きな環境の変化はありました。

ショウさん:入社後、約2年たっていました。新卒から同じ会社で働いていましたが、部署の異動はなく同じ部署で仕事をしていました。

ストレスや過労等の明確な理由は思い当たらず、周囲の優秀な先輩と仕事をする環境に焦りを感じていた時期かもしれません。

 

最初の診断ではパニック障害と診断されなかった

panicome:最初の発作はどういった状況でおこったんですか。

ショウさん:友人の結婚式です。元々人前に出るのが苦手だったんですが、余興を頼まれていて少し緊張していました。

途中で突然手足に痺れを感じ、全身にしびれが広がりました。手足や、腹筋・背筋、顔面の筋肉といった全身の硬直して動くことができませんでした。同時に過呼吸になり、強烈な死の恐怖に襲われました。

救急車で運ばれたんですが、全身が硬直していてベッドにうまく寝れませんでした。自分の状態を説明しようとしても、喉、唇、舌が痺れていてうまく話をすることができず全身にものすごい量の汗をかいていました。

panicome:病院ではパニック障害と診断されたんですか。

ショウさん:病院で診断を受けると、過呼吸と判断されました。とりあえず点滴を打って体調が戻るのを待っていましたが、2時間くらいして痺れがおさまり、歩けるようになったので、病院をあとにしました。

 

自分が精神疾患になるはずがない、認めたくない

ショウさん:帰っている途中、再度全身の痺れと過呼吸になって、二度目の救急車で病院へ運ばれました。

翌日別の病院で検査して、血液検査やレントゲンで調べるも異常はありませんでした。その翌日、近くの大学病院で検査をして、循環器科と内科で調べましたがこちらも異常がありませんでした。

panicome:パニック障害などの精神的な病気は疑いませんでしたか。

ショウさん:ひょっとすると、原因は精神的なものではないかと思っていました。でも「自分が精神病になるなんてない」と強く否定したい気持ちがあって。

数日休んで体調が回復したように思えたので、会社に行くことを決意しましたが、電車内でパニック発作をおこして倒れました。

パニック障害かもしれない」という確信めいたものがありましたが、必死で無視をして、再度内科で検査をしましたが、異常がありませんでした。

最終的に発症から6日後に精神科に行きパニック障害と診断されました。

panicome:どうしてすぐに精神科に行かなかったんですか。

ショウさん:やっぱり偏見があって。自分が精神的な病気になったことが受け入れられなくて。診断された後は落胆しました。

panicome:確かにそうですよね。正直僕も自分がなる前は、そういう病気はメンタルが弱い人がなるもんだって思っていました。

僕は診断された時、ショックと共に不思議と安心感がありました。

 

発症編まとめ

ショウさんはパニック障害と診断を受けるまでに6日要していますが、原因は2つあるのかなと思いました。

1つ目は、お医者さんでも正確に症状を判断するのが難しいこと。

前回産業医の先生に伺いましたが、メンタルヘルスの症状は似通っていることが多く専門家でも判断が難しいようです。最初の診断に違和感があれば、他の病院でセカンドオピニオンをとるのもいいかと思います。

2つ目は、まさか自分がメンタルヘルスの病気になるわけがないと思っていること。

私見ですが、パニック障害になる人は真面目で責任感が強く、頑張り過ぎる傾向があるのかなって思います。自分でも体調の変化に気付かない、もしくは気付いても頑張っちゃう人が多いのではないでしょうか。

職場の同僚や家族、恋人や友人など周囲の方が異変に気づいたら病院に行くことを勧めてあげることで早期発見・早期回復に繋げられると思います。

 

次回は回復編です。

それでは。